吾郷 眞一
立命館大学衣笠総合研究機構教授
国際平和ミュージアム館長
(本論稿は、法律時報2019年9月号57-62頁に掲載された論稿を、日本評論社のご了解をいただき、転載させていただいたものです。)
1 はじめに
企業の人権遵守義務が最近特に広い範囲で議論されている。国内法的には、古くから企業統治の問題や、消費者保護の問題、主として民事法、刑事法、経済法、環境法等の規律対象であったが、最近のものは国際法的観点、しかも人権法の側面が入ってきていることに特徴がある。これには、国際人権法の発展と、経済のグローバル化が大きく影響している。
「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合『保護、尊重及び救済』枠組実施のために」と題された2011年の国連人権理事会決議●1)「(以下では「国連指導原則」)は「ビジネスと人権」という概念を定着させる象徴的決議であった。しかし、企業が人権侵害をしてはならないという命題は、この決議の中で初めて出現したわけではなく、多国籍企業を規制する必要があるという広義の問題の中で、1970年代から国連経済社会理事会やUNCTADで論じられてきた。また、OECDやILOにおいても重要な決議(宣言)の中でも言及され、一定のフォローアップがなされてきていたし●2)、2003年には国連人権委員会で「多国籍企業及びその他の企業の、人権に関する責任規範」●3)という決議すら採択されそうになったのである。
とはいえ、企業の人権遵守義務を国際法的に規律することの中には、国際法体系がもつ根源的な問題(限界)がある。すなわち、基本的に国と国(あるいは国際組織)との関係を律する国際法の中において、企業という非国家主体に国際法上の権利義務を帰属させることができるか、という実体法上の問題と、仮に可能であったとしても、人権侵害救済がどのようにして達成できるのか、という手続法上の問題がある。
2 ビジネスの国際法主体性
かつては、企業が国際法上の問題となったのは、国有化による補償問題(この場合は企業が経済上の権利侵害を外国で受けている)が、外交保護権によって救済される(又はされない)という議論や、企業活動を起因とする環境侵害が他国におよび、加害企業の所在地国に国際責任が発生するというような問題、あるいは株主が法人の衣の中に隠れ外交的保護権の対象になりえなかったというような(この場合も個人の経済権が侵害されている)ケースが多く、企業それ自体として国際法主体性を独自にもったうえで、国際法を援用して権利を主張するとか、逆に国際法上の規制を受けるという状況ではなかった。加盟国対加盟国の準司法手続の形をとるGATT/WTO枠内での紛争解決も、実質的には企業対企業の経済上の紛争であったとしても、形式的には国が他の国を訴えるという構造である。現在の国際経済法体制でも企業は国家の中に埋没しているのが基本的な姿である。
しかしながら、この状況は一部では変わりつつある。多くの投資協定では、仲裁条項があり、個人(法人・企業)が国際法を用いて権利実現を図りうる、すなわち国際法上の主体性をもつに至っている。投資紛争解決条約(ICSID)では、カルボー条項の実定国際法化とすら言いうる外交保護権の制限(条約27条)が規定され、伝統的な国際法主体ではない個人(法人・企業)が、国を相手取って、国際法(投資協定)を援用し、権利の救済を求めていくことができるようになった。二国間投資協定の多くに規定される仲裁条項に基づき設置される仲裁による紛争解決(いわゆるISDS Investor State Dispute Settlement)でも、個人(法人・企業)が国を相手取り、(すべてがそうでないにしろ)国際法が適用されて救済がはかられることが可能になっている。一般的な国際法の叙述において、国際法は基本的には国家間、あるいは国際機構との間の関係を律するものであって、個人は特定な条約(特に人権条約)で、限定的な主体性を与えられているに過ぎない、と説明される●4)。しかし、ILOのような古い機関でも、労使の代表という非政府団体が政府と別個の主体として条約採択に関与することや、履行監視手続に参加し、申立や苦情を提起することもできることは100年も前から知られている。そして、ここに来て「カルボー条項の実定国際法化」は、国家が独占してきた国際法主体性に一つの風穴を開けることになったと言えよう。
ところが逆に、個人(法人・企業)が国際法によって直接的に義務を課せられ、その履行を国際法によって担保されることがあるかというと、この場面ではまだ国際法秩序の基本は変わっておらず、個人をして特定な(国際法によって規定された)法的義務を果たせしめるのを国家が確保することによって、当該国際法上の目的が達成されるに過ぎない。人権規約の下で、個人(法人・企業)が個人(または集団)に対して規約に規定された人権侵害を行った場合、選択議定書を批准した国の個人であって、規約上の人権侵害を受けたものが、規約人権委員会に訴えることは理論的にはできるが、人権条約機構としては当該国家に対して、その侵害状況を除去することを勧告できるのみで、直接個人(法人・企業)を名宛人にした行動を取ることはできない。
政労使三者構成の組織で、非政府主体が条約採択、実施の監視に直接関与する地位が認められている場合でさえも、ILO条約上の義務履行を政府に求めていくというのが基本的な姿であって、労使代表は組織の構成員であるにもかかわらず、直接に条約上の義務履行が求められることはない。
2015年以降、国連人権理事会が検討を開始した「ビジネスと人権条約」にしても、仮に条約として成立したとして●5)、やはりそこでの名宛人は国であり、企業に直接的な国際法上の義務履行が強制されることにはならない。
3 ソフトローの重要性
ISDSにおいて個人(法人・企業)が国際法上の主体となり、国家を相手に国際法上の権利を追求していくことができるのであれば、国家または政府間国際組織も又、逆に個人に対して国際法上の義務履行を追求できたとしてもおかしくはないとは言えるものの、今日の国際法体系は、米国の外国人不法行為請求法(ATC Act or ATS)や最近の英国やオーストラリアの現代奴隷法などの国内法域外適用の例を除いては●6)、そのような状況にはなっていない●7)。やはり国際法が個人を直接名宛人にすることはないのであって、個人(法人・企業)は国際法義務違反を問われることはなく、その個人を擁している国が、個人に代わって責任を果たすことになる。
そのような状況下で企業に直接的に国際法が機能するためには、ソフトローの手を借りなければならない。70年代のOECDおよびILOの文書も、「最近の国連ビジネス人権指導原則も、皆いわゆる非拘束的国際文書(決議等)であって、条約法上の縛りを受けず、直接企業を名宛人にすることができる●8)。
今日、国連を中心とした経済社会的側面での国際協力において、最も基本的な文書は2015年採択の持続可能な開発目標(以下SDGs)という国連総会決議●9)、すなわち非拘束的国際文書であるが、その前文では「全ての国、全てのステークホルダー及び全ての人の参加を得て、再活性化された「持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップ」を通じてこのアジェンダを実施するに必要とされる手段を動員することを決意する」とある。第52項(人々を中心に据えたアジェンダ)では、この目標を達成するための主人公が「われら人民は」に言う人民であり、すなわち「政府、議会、国連システム、その他の国際機関、地方政府、先住民、市民社会、ビジネス・民間セクター、学術界、そしてすべての人々」であることを宣言しており、その前の第51項に至っては、「子供たち、若人たちは、変化のための重要な主体であり、より良い世界の創設に関わる無限の能力を有し、本目標にそのための活動の場を見いだすであろう」として、子供にまで(客体ではない)主体性を持たせている。第28項においても企業に直接働きかけており、最後に第67項では、SDGsでの17の目標実現にとって「グローバル・パートナーシップ」が必要であることが述べられ、「……民間セクターに対し、持続可能な開発における課題解決のための創造性とイノベーションを発揮することを求める。『ビジネスと人権に関する指導原則と国際労働機関の労働基準』、『児童の権利条約』及び主要な多国間環境関連協定等の締約国において、これらの取り決めに従い労働者の権利や環境、保健基準を遵守しつつ、ダイナミックかつ十分に機能する民間セクターの活動を促進する」とされている。ここでは明らかに、国連総会という組織が、民間企業という私人に対してILO基準とか児童の権利条約などの国際法規範の遵守を勧告しているのであり、ソフトではあるが直接勧告がなされていると見ることができる。
SDGsは総合的なものであり、ビジネスと人権に特化したものではないが、先にも述べたように、企業の国際法上の人権遵守義務は、1970年代からソフトローによる規制として出現し始めていた。以下はその展開である。
4 ビジネスの人権遵守義務を規定するソフトロー
多国籍企業の活動を規制しようとする国際法的試みは、移転価格などの経済的問題や、政治社会(極端な場合政府転覆関与というような主権侵害)問題への影響などが一般的になった1970年代に、すでに述べたように、国連や専門機関などで始まっていた。まず国連貿易開発会議(UNCTAD)の場で行動要綱策定が試みられたが、10年くらい続いたものの頓挫した●10)。ただし、これは人権侵害を正面から取り上げるものではなかった。
OECDでは1976年に●11)、ILOでは1977年に●12)(労働に着目した)行動要綱が策定され、いずれも複数回の改訂を経て今日まで有効性を継続している。その後しばらくの間、国際文書策定の動きはなかったが、21世紀に入ってまもなく企業側に働きかける形(CSR・企業の社会的責任の発想)でいくつかの国際的活動が見られた。また同時に、このあたりから、問題は多国籍企業だけに限らず、企業一般が規制対象になってきた。一つが、国連事務総長の発意で開始され、今日まで発展しながら継続している、グローバルコンパクト●13)であり、もう一つがISO(国際標準化機構)による国際規格としてのISO26000●14)の策定である。今日では、グローバル企業(多国籍企業だけでなく社会的影響力が大きい企業全般)は、何らかの形でその社会的責任を宣言することが普通になってきており、そのためのツールとしてグローバルコンパクトやISO26000が利用されている。
同じ流れの中で、国連人権委員会は2004年に、企業による人権侵害を防ぐ目的で「多国籍企業やその他の企業の人権に関する責任規範」と呼ばれる非拘束的文書の策定に着手し、多国籍企業の活動に関する作業部会が規範案を作成し、2003年に人権小委員会で採択され、親委員会である国連人権委員会に2004年3月に提出されていたが●15)、それは人権委員会の受け入れるところとはならなかった●16)。そこでは国家だけではなく、企業も直接の名宛人となっていたのである●17)。ところが、人権委員会の2004/279決議では「そもそも、この小委員会文書は人権委員会の委託のもとに作成されたものではなく、小委員会はその監視機能を果たしてはいけない」とまで批判され、人権高等弁務官に対して更なる調査・研究を指示するということで、いわば廃案にされたのである。もしこの文書が、人権委員会で支持(endorse)されていたのであれば、中身がかなり具体的で規範性が高いので、かなり法的に重みがあるものとなった可能性はある。逆に言うと、それだからこそ人権委員会は、この文書の支持に反対したのかもしれない。
このような背景の下、グローバルコンパクトの枠組み作りに成功していたアナン事務総長は、人権委員会の堅い対応を打開するために、J.ラギー・ハーバード大学教授を事務総長特別代表として迎え、委員会(現・人権理事会)が納得するような代替案を示すこととした。ラギー教授(とそのチーム)が5年以上の年月をかけ、周到な調査と各界の意見聴取を経て作り上げた●18)のが、通称ラギー原則として知られる「保護・尊重・救済枠組」であり、それが具体的な付属文書(事務局長特別代表者報告書「国連多国籍企業行動指針」A/HRC/RES/17/31)となって人権理事会によって採択されたものがA/HRC/RES/17/4決議である。
この決議は国際(組織)法的に興味がある性質を有している。組織法的には国連総会の下部機関による決議であるが、その採択までの過程や、その後のフォローアップを見ていくと、単なる「人権理事会の法的拘束力がない勧告的な決議」ということだけでは済ませることができない。なぜ、多くの国の政府が、その原則についての行動計画を立て、多くの政府や企業が毎年ジュネーブの人権理事会主催のグローバルフォーラムに参集して、原則に従って行動を取っていることを報告するのか、さらには、企業と人権侵害についての条約案すら起草されようとしているのはなぜかを考えると、企業と人権に関する指導原則を内容とする国連機関の決議が、実質的に国と企業の行動に一定の影響を与えていることがわかる●19)。
5 国連指導原則の効果
決議17/4は、その第1項で事務総長特別代表の仕事と成果(Annexとして決議の添付)を歓迎(welcome)し、「国連保護・尊重・救済枠組を実施に移す指導原則」を支持(endorse)するとし、第6項で指導原則を実施に移すために作業部会を設置し、第12項で、その指導の下で毎年末に一度3日間開かれるフォーラム(UN Forum on Business and Human Rights)において、指導原則を巡る様々な問題を論議することが決定された。
第1項前半は、Annexとして添付されたかなり大部の指導原則を決議に読み込む(決議と一体化する)役割を持ち、後半はそれを人権理事会自体の勧告とする働きをしている。Endorseという動詞は、それ自体としては事務総長特別代表という個人の報告書に過ぎないものを、人権理事会という国連総会の下部機関の正式な決議として採択し、名宛人に勧告するということを表現する動詞であると考えられる。これによって「国連保護・尊重・救済枠組を実施に移す指導原則」は、国連人権理事会の勧告となった。
いわゆるソフトローであるので、それを実効的にするためには組織的なフォローアップが必要であって、本指導原則にも、実際フォローアップ機構が備わっている。第6項で設置された作業部会には、a号からj号に至る10項目にわたり、きわめて具体的な任務が委託されている●20)。a号で、「指導原則の総合的で効果的な普及と実施」という包括的な表現で作業部会の任務を述べたあと、そのために、たとえば指導原則実施のためにとられる様々な実行についての情報を政府、多国籍企業、その他の企業、各国における人権機構、市民社会、人権享受主体(rights-holders)から取得すること(b号)、要請があった場合に、指導原則実施についての助言・勧告を与えること(c号)、フォーラムを運営すること(i号)等を規定している。注目すべきなのはe号で規定されている「企業活動によって人権侵害を受けた人々が有効な救済にアクセスできるかについて明らかにし、選択枝や勧告を検討すること」であり、そこで述べられている救済へのアクセスが何であるかがわかると、かなりの程度この文書が持つ法的重みが明らかになると同時に、その救済の実現可能性次第では、指導原則そのものに規範性が出てくることとなる。
6 国連指導原則第3の柱・救済原則の実現
⑴ 国内司法による実現
人権保障を目的とする国際法規は、国内の(立法・行政・司法)機関によって実施されることが予定されていることについては、何度も本稿で確認をしてきている。国連指導原則は条約ではないので、それをそのまま国内裁判所で適用することはできないことに間違いはない。しかしながら、国際人権規約その他の人権条約を批准している国において、しかも一般的受容方式がとられているところで、批准された条約を適用する形で、国連指導原則の目的が達成される、ということは可能である。一般的受容方式がとられていない国にあっても、慣習国際法にまで昇華しているとみなすことができる規範(たとえば奴隷労働・強制労働の禁止)は、コモンローとして援用可能な国もある。信義則のような法理を補足的に使うことによって、条約でも慣習法でもないものを適用して、審理を行う(ソフトローを間接適用する)場合もあり得る。国内労働法の領域ではあるが、企業内行動規範に反したということで不当労働行為が認められた事案があることが報告されている●21)。
しかし、ここでやはり重要なのは以下のような国内法を介在させない、国際的な人権救済手段であり、ここでもまたソフトローが大きな役割を持って来る。
⑵ 国際行政(人権条約機構など)による実現
国際人権規約を初めとする多数の人権条約(一定のILO条約も含む)には、実施の監視をするいわゆる条約機構(treaty body)が付属している。それらは、その権限の範囲内で人権侵害状況を認定し、その排除を求めていくことができる。ただ、ビジネスと人権というコンテクストの中においては、いかに当該条約(たとえば自由権規約)に個人通報制度(第1選択議定書)が具備されていたとしても、人権侵害を受けた個人(または労働組合などの団体)が、企業自体を訴えることはできず、条約締約国政府を介して権利の救済を求めなくてはいけないという限界がある。
同じように限界があり、かつそれら個別の機関が活動して行く場面においてのみ効果があるという限定がさらにつくが、世銀を初めとする多くの国際金融機関のインスペクションパネル●22)などが行っている自己監視機能も、人権侵害を受けた個人・集団が、国際金融機関が自浄機能を発揮することによって救済を受けられる機会を提供している。これらは、限定的とはいえ国家の介在を要さないという意味で、本質的に国際(経済組織)法のレベルで完結する手続といえる。
⑶ 非拘束的な国際文書による実現
国連指導原則自体も非拘束的国際文書であるが、そのような非拘束的なものを、これまた非拘束的な手法で実施していこうとする仕組みが存在する。OECDガイドラインとILO三者宣言がその代表格である。OECDにおけるNCP(National Contact Point)の活動、ILO理事会(事務局)が行う宣言の解釈活動は、いずれも元となる文書が条約ではないという意味において、法的拘束力がない「規範」を、法的拘束力がない(国際)行政行為によりフォローアップしようとするものである。したがって、それらの出す解決策(たとえば人権侵害や基本的労働権侵害が認定された企業への是正勧告)は、上記⑵で述べた国際行政行為(それが担保しようとしている規範は条約であって、法的拘束力がある)よりもさらに拘束力が弱い、という限界がある。しかし、ミャンマーにおけるUNOCAL事件●23)が物語るように、実際には企業は受け入れざるをえないことがある。
古くは国連人権委員会が行っていた大規模人権侵害に関する通報への対応●24)も、このカテゴリーに属する。人権規約、とりわけ個人通報制度ができる前は、個別の人権侵害に対して個人が救済を求めていくところは国連内のどこにもなかったため、人権委員会のイニシアティブの下で、世界人権宣言という非拘束的法文書の実施を、経済社会理事会決議(経社理決議1503号)、すなわち非拘束的な法文書によってフォローアップしようとしたものであった。
⑷ CSR(企業の社会的責任)による救済の実現
実は、国連指導原則(特にその二つ目の柱)は、基本的にCSRの理念に基づいて造られていると言っても過言ではない。保護・尊重・救済の三本柱は同質な規定ではなく、二つ目の尊重原則は緩やかな規範性しか持たない。企業に対して緩やかな形で働きかけを行っているに過ぎない。前後の原則は主として国家に対して働きかけているのであり、ソフトローの性質を持っていると言えるが、尊重原則はそうではなく、ソフトロー以前のものである。企業の自発性に期待しているのであり、それだからこそこの国連指導原則は、人権理事会において受け入れられたとも言えるのである。グローバルコンパクトに参加すること、ISO26000を自発的に企業が取り込むことなどによって、人権侵害を未然に防ごう、侵害があった場合に救済をしよう、という企業による一方的な行為が予定(期待)されているのであり、たとえば信義則などの補助的手段を使ったとしても裁判規範にはなり得ないものとして、ソフトローですらないということができる。ところが、そうとは言い切れないこと(一方的な人権保護宣言を企業が発することが義務に近いものとしてとらえられるようなこと)が、起こりうるのであり(そのために毎年ジュネーブで開かれているForum on Business and Human Rightsでは、責任ある企業は進んで参加し、指導原則を実践していることを報告しているのである)、ソフトローの前段階のもの、つまりソフト・ソフトローといっても良いこの働きは、これから無視できないものになっていくと思われる●25)。
7 おわりに
ビジネスと人権に関する国際(経済)法的アプローチは、最近特に注目されてきているものの、かなり古くからとり上げられてきている問題であり、国際法はそれなりの対応をしてきている。過去10年ほどの展開は、主としてソフトローのレベルで生じており、これを無視しては「ビジネスが人権を守らなくてはならない」という命題は法的議論ができない。ソフトローは、手続的組織化を中心とする適切なフォローアップがなされたときに初めて、法に準じるものとして議論ができるものであり、まさしくグローバル社会はそちらに向かっていると言えよう。
(あごう・しんいち 立命館大学教授)
■脚注■
1) 人権理事会決議 A/HRC/RES/17/4 (21 March 2011)
2) 拙稿「国連による多国籍企業の規制」国際問題240号(1980年)29-40頁。
3) Norms on the Responsibilities of Transnational Corporations and Other Business Enterprises with Regard to Human Rights, E/CN.4/Sub.2/2003/12/Rev.2 (26 August 2003)
4) Ian Brownlie, Principles of Public International Law, 6th ed. 2003, p.65, pp.529-557.
5) 現在この条約起草は、一部興味深い内容を含むゼロ次案というものができているものの、どのあたりに落ち着くのか作業開始から5年経った現在でも見通しが立っているとはいえない。なぜならば、エクアドルなどの一部の国が条約化を提案した2015年当初から言われてきているように、名宛人であるところの企業の母国である先進国のほとんどが条約化に反対であり、最終的に採択は困難か、採択されたとしてもそれらのターゲット国が批准しないであろうから、実際的には機能しない可能性が高い。Report on the fourth session of the open-ended intergovernmental working group on transnational corporations and other business enterprises with respect to human rights, A/HRC/40/48
6) もっとも、最近のキオベル判決(10-1491 Kiobel v. Royal Dutch Petroleum Co. (04/17/2013))を契機に、ATSの適用が狭まっていることに注意が必要。
7) これらにしても、国際法が個人に直接適用されているとはいえ、その執行は英国あるいはオーストラリアの司法による。(G.セルの二重機能説をとれば、国際法の執行と構成することはできる。)
8) たとえば、「企業(多国籍企業を含む)は、『国際人権章典』並びに『しごとにおける基本的原則及び権利に関する ILO 宣言』に定める基本的権利に関する原則において表明された人権として理解される、国際的に認められた最低限の人権に関連する実際の及び潜在的な悪影響を特定、予防、緩和するとともに、自社がこれにどのように対処するかについて責任を持つため、デュー・ディリジェンスを実施すべきである」(ILO多国籍企業三者宣言第10項⒟)
9) Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development, 18 September 2015, A/70/L.1
10) 拙稿「国連による多国籍企業の規制」国際問題240号(1980年)29-40頁。
11) OECD Council Declaration (Ministerial Level) of June 1976, Annex
12) Tripartite Declaration of Principles concerning Multinational Enterprises and Social Policy, adopted by the ILO Governing Body on 16 November 1977, 204th Session, Geneva.
13) 1999年の世界経済フォーラムで発案され、2005年8月12日にアナン国連事務総長(当時)によって作られた枠組みであり、いくつかの総会決議により実施の仕組みが作られた。(2005年のA/RES/60/1で頭出しが行われ 2006年のA/RES/60/215、2008年のA/RES/62/211、2012年のA/RES/66/223、2014年のA/RES/68/234、2016年のA/RES/70/224など)
14) ISOはスイスのジュネーブに本部を置く民間の国際組織であるが、世界各国からのステークホルダーの参加を得て、組織(企業)の社会的責任に関する包括的ルールとしてこの規格を策定した。政府間国際組織ではないが、一部政府代表も含んでおり、かなり公的な色彩が強い。ISO/SR国内委員会監修『ISO26000:2010─社会的責任に関する手引き』(日本規格協会、2011年)。
15) Norms on the Responsibilities of Transnational Corporations and Other Business Enterprises with Regard to Human Rights, U.N. Doc. E/CN.4/Sub.2/2003/12/Rev.2 (2003).
16) 経済社会理事会決議2004/279
17) A項で、国家と並び企業に対しても「その活動の中で国内的、国際的に認められた人権を促進し、遵守する義務があること」が規定されている。
18) その過程を詳しく描写しているのがJ. G. Ruggie “Just Business”, W. W. Norton & Company Ltd. , London, 2013。
19) 国連および他の政府間国際組織の機関による決定(決議)は、拘束力がない国際文書(non-legally binding international instrument)と呼ばれているが、いくつかの要素が整えば、かなり法的重要性が加わり、その要素の中でも3つめの「フォローアップの存在」は最も重要である。拙稿「Follow up of United Nations Resolutions」法政研究61巻3-4号(1995年)33-82頁。
20) なお付言すると、この部分は組織内的決定であり、拘束力を持つ。つまり、作業部会が設けられ、その活動のために国連の経常予算が使われることについて加盟国は、決議の勧告的性質をもって対抗することはできないのである。
21) オリンパス事件(最判平成24・6・28労働判例1048号177頁、東京高判平成23・8・31労働判例1035号42頁、東京地判平成22・1・15労働判例1035号42頁)香川孝三「CSRに関わる労働裁判例」『社会保険労務士とCSR』社労士総研研究プロジェクト報告書(2017年)31-41頁。
22) http://ewebapps.worldbank.org/apps/ip/Pages/AboutUs.aspx(2019年7月6日参照)アジア開発銀行の場合はCompliance Review Mechanism (http://compliance.adb.org/dir0035p.nsf/alldocs/BDAO-7XG526?OpenDocument) (2019年7月6日参照)。
23) Organization for Economic Co-operation and Development, ‘Recommendations by the French National Contact Point to Companies on the Issue of Forced Labour in Burma’, 28 Mar. 2002, Annex I of the OECD “Multinational Enterprises Situations of Violent Conflict and Widespread Human Rights Abuses”, Working Papers on International Investment, Number 2002/1, 30 May 2002.
24) 人権理事会成立後は不服申し立て手続として原則的に継続。
25) ソフトロー以前の実体を法的に議論する必要性については、拙稿「CSR─法としての機能とその限界」季刊労働法234号(2011年・秋季)50-60頁参照。
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